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いろいろ独白。モノローグ(Monologue)

アンチ篤姫とアンチ天地人の違い

天地人について、各話ごとに感想を書いてきましたが、怒りや失望、あらゆる負の感情が今も収まりません。この気持ちをどういう切り口で書こうか悩んでいたら、週末になってしまいました。
私が回りくどい文章を書くより、妄想大河ドラマさんの記事の方が的確なので、リンクを貼ることで代わりにさせていただきます。

妄想大河ドラマ 『天地人』総評

しかし、もう少し何か言いたい…



***

昨年の篤姫も苦手でしたが、天地人のダメさは一線を画しています。
篤姫周りの人物描写には首をひねったけれど、大政奉還という終着点に向かう物語の筋に破綻はありませんでした。個人的に、姫を中心とした大奥の話より、オジサンたち(若者もいたぞ)の権謀術数が渦巻く幕府内外の様子が好きでした。
篤姫が好きか嫌いかの分かれ道は、個人的な好みの違いだったと思うのです。

天地人の場合、そういう嗜好レベルの問題じゃないのです。ストーリーも人物も演出も何もかも一貫性がなく支離滅裂。
例えば、人を金で釣ろうとする相手を糾弾した次の回で、糾弾した本人(兼続)が武田勝頼に金を見せつけて味方に引き入れてるんですよ? 矛盾した行動に対して葛藤があればドラマの深みになるでしょうが、一切ナシ。カッコイイBGMが鳴って「ああ、ここ見せ場なんだ」と分かるのですが、見せ場らしい雰囲気だけで肝心の中身がないのです。だから、テレビで兼続が泣いたり熱弁ふるっても、視聴してるこっちは白けるばかり。11ヶ月間、ずーっとこの調子ですよ。
大河ドラマどころか、水戸黄門など娯楽時代劇にも遠く及ばず、そもそもドラマとして成立していないのです。はっきり言って、ジャンプの10週打ち切りマンガ以下。

「行間を読む」という言葉があります。本を読む時、文字として書かれていない真意を汲み取ることです。
大河ドラマのように歴史を元にしたドラマの面白さは、年表の行間を読むことにあると思います。1192年鎌倉幕府成立など、淡々と出来事が並んだ年表の行間には、書かれていない出来事や人物が躍動し、1つの出来事にも複数の説があったりします。年表の行間を読み、想像力を膨らませることこそ、歴史ドラマ・小説の醍醐味です。この人がこういう行動を取った理由は、こんな出来事がトラウマだったのかもね〜とか。
大木が枝葉を広げるように、歴史に興味を持つと際限なく広がっていって、本当に大変です。でも楽しい。

歴史は膨大すぎるから、ドラマにする時に余計な部分を切るのは仕方ないことです。でも、上手く剪定すれば、素材の木より美しい盆栽ができることもあります。
天地人は、大木から必要な枝葉まで切り落として、造花を飾り付けたようなシロモノです。むしろ、造花がメインなのか? 盆栽を見に来たのに、造花だったらそりゃガッカリしますよ。見るも無惨な盆栽「天地人」を見るに付け、素材を思い浮かべて嘆息する…そういう気持ちです。
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by shinnokotowari | 2009-11-27 13:31 | ・大河ドラマ | Trackback | Comments(2)
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Commented by 同意! at 2009-12-24 03:03 x
しかし、
本物の兼続は、天地人のような変な人ではないので、よければ「米沢 兼続」をネット検索して、米沢市の案内を見て読んで、本物の兼続の生涯や業績を知ってやって下さい。
「ドラマ天地人は実在した兼続とは、何の関係もありません!」(;_;)
Commented by shinnokotowari at 2010-01-04 11:51
>同意!さん
大変長らくお待たせしました(もう見てないかも…スミマセン・汗)
総集編の放送時に、私なりに想像していたカネツグ像について書こうと思っていたのですが、ちと時期を外してしまいました。
史実の直江兼続の言う「義」は、主君の上杉家への忠誠だったのだと思います。謙信から続く上杉家の義を守る為なら、自分は汚れ役になっても構わない…そんな厳しい人だったのではないかと。

あのドラマの一番の被害者は、ラスボス家康ではなく、主人公の兼続だったのかもしれません。

by shinnokotowari